日本は温暖で高温多湿、山が多く、 周りを海に囲まれています。海と山 の多様な食材が四季折々に得られま す。海の魚に加え、海辺の貝やえび、 海藻、そして川魚なども古くからの 食料。野菜は自生のものに加えて、 ごぼう、ねぎ、だいこん、じゃがい もなどが時代ごとに外から伝来し、 日本の自然に根づいてきました。雨が多い日本ですが、その水が地 中で滞留する時間は短く、岩や土の ミネラル分が溶け出しにくいため、 日本の水は軟水です。これは和食に とって重要な意味があります。硬度 が低いやわらかな水だからこそ、繊 細な「出汁」の味がでます。とうふ や日本酒、しょうゆなども生まれました。また、水でしめたり、水にさらしたりといった調理ができるから、素材の味を引き出せます。

米の文化

日本は米の文化です。原始、私たちの祖先は狩猟や採集で食べものを得ていました。 縄文時代晩期ごろに、大陸から伝わった稲作が始まります。米は作りやすく保存がきくので人々中心は「米」となります。庶民は雑穀などを混ぜ、白米は長らく高嶺の花だったのですが、今日「ごはん」は食事のことを指すくらいに大切な存在に。神に供える神饌も、米ゃ、米から作る餅や酒です。また江戸時代は、米が、租税や武士の俸禄の単位とされたように、経済生活の基盤でもありました。

和食の味

和食の味覚の特徴はなんといっても「うま味」。海外でも「UMAMI」 が通じるほどです。明治期の末に、池田菊苗博士がうま味の元(グルタミン酸ナトリウム)を発見。その後研究が進み、甘味・塩味・酸味・苦味に加わる第5の味覚として「うま味」が知られるようになります。けれど昔の人は、室町時代あたりから昆布や干ししいたけでとっただしを使い始め、江戸時代には、かつお ぶしからだしをとっており、経験的にそのおいしさをしっていました。みそやしょうゆなど和の調味料には発酵食品ならでわのおいしさがあります。鎌倉時代以降の中世に、寺院ではみそ作りが盛んになります。庶民にも伝わって「ごはんとみそ汁」という和食の基本もできました。しょうゆは紀州などで産業化が進み、上方から江戸へと広がっていきます。 みそもしょうゆも中国の醤をルーツ としますが、日本の風土に生きる麹 菌を使って発酵させる、独特な調味料となりました。だしの食材である乾物も、和の調味料も、手間と時間をかけて作られてきたの。先人たちが、生きるために工夫してきたそれらが、やがて 独自のうま味や味わいとなって、和 食の味は成立しています。鎌倉時代以降の中世に、寺院ではみそ作りが盛んになります。

もてなす

大盤振る舞いのごちそうをすれば、 おもてなしでしょうか? 日本の「おもてなし」は一方通行の「サー ビス」とは違います。もてなす側は、 喜んでもらいたいと工夫を凝らす。 もてなされるほうも、その意を汲み とって受けとめられる。そうした双 方の間におもてなしは成立します。

3世紀、禅僧・道元は、食事を作 る僧=典座の心がまえを述べた「典 座教訓』を著しています。食材に敬 意を払い、相手の立場に立って、手 間と工夫を精一杯行うことに意味が あるとします。そして食べる側の心 がまえを「赴粥飯法』に記し、食事 ができるまでの苦労や食材の尊さに 感謝し、正しい心で食べるのも修養 と説きます。「いただきます」や「ご ちそうさま」の原点かもしれません。
和食の真髄は、互いを思いやる心。 その意味で、家族同士、仲間同士、いたわり合いながら連綿と営まれて きた日本の暮らしの中に、和食の伝統が息づいてきたのでしょう。

いただきます

和食のマナー

マナーは人と人とが気持ちよくお つきあいするためのふるまい方でし ょう。これは時代や環境によって変 化するもの。たとえば「飯碗を手に 持って食べる」日本の食べ方は、国 が違えばマナー違反。ところが、日本にいてそれを知らないと周囲を戸 惑わせ、恥ずかしい思いをします。
日本の食事作法は、貴族や武士の 礼法の中で体系化されてきました。 室町時代には、四条流、大草流など といった武家の料理流派が成立し、 公家や武士の教養・儀礼・しきたり などを意味する「有職故実」が整え られます。江戸時代に礼法書がたく さん出版され、庶民の家でも食事作 法のしつけがありました。
時代を超えて変わらぬ和食の作法 といえば、たとえば、箸づかい。箸 のマナーを守ることは、個人のふる まいを正すだけではなく、「美しく食べる」という、気品ある和の精神 を広く伝えていくことに通じます。

TOP